Study in ESTONIA

限りなく院生に近いニート

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卒業した。

卒業した。
23歳で日本から8000km離れたこの寒い地に1人で降り立ってから
早くも2,3年が経っていたらしい。
この時代に、わざわざ海外で大学院まで卒業してしまうというのは、この先ぼくの人生において最も恥じるべき経歴の一つになるだろう。
ぼくがエストニアに来た当時は今ほど日本でエストニアがバズっていたわけではなく、
知っている限りでは、当時日本人は大学(TUT)にぼく1人だったと思う。
アジア人すらほとんどいなかった。
だが今は、エストニア政府の強烈なブランディングの結果、
エストニアという国自体が世界的に有名になり、
結果としてたくさんの日本人が来てしまっている。

おそらく、現在はネットではたくさんのエストニアに関する情報があるし、
また実際エストニアに来れば、日本人コミュニティーが温かく迎えてくれるため、
ぼくが来た当時やそれより前よりは、誰も知らなかったこの無機質な国へ来るリスクもコストも下がっているのだろう。
しかし、ぼくが来たときは唯一TUTの先輩の内Tさんと日本で飲みながら話したこと以外、情報は何もなかった。
さすがに、正直ぼくも不安はあった。
どんな国で、誰がいて、なんの言語が使われているのかもわからない。
そんな誰も知らない国に来たのは、
エストニアに行けば人と違うからだとか、
エストニアに行けば人生が変わるだとか、
そういう味噌のない味噌汁くらい薄い飾りのために日本を離れた訳ではない。
ただ少しの好奇心に連れられて日本から離れた。それだけの話だ。
「海外」=「挑戦」
こういうのがぼくは大嫌いだ。
なぜなら、その多くの場合は、
「好きなことをしているふりをして、他人や社会から評価されることをしている」
だけになってしまっているからである。
その症状が深刻な場合は、本人ですら「やりたいことをする」
という、ケーキの上のサンタクロースくらい甘い言葉に惑わされ、
今自分は、本当にやりたいことをしているのだ、と錯覚してしまうのだ。
その一つの精神安定剤になるのが、
「海外」
なのである。
日本では、「海外」ということが大げさに取り上げられ過ぎている、とぼくは感じる。
就活のための留学、なんとなく海外にいけば人生が変わる。
そういう夢のあるやる気や向上心、という姿勢には気をつける必要がある。
たかがチケットを買って別の大陸に飛んでいくだけの話だ。
今はインターネットだってある。
その上で海外にお金と時間を使って飛び立つ必要性と価値というものは、ちゃんと考えないといけない。
常に市場にとって本質的価値のあることと、自分にとって本質的価値のあることの差分は取らないといけない。
海外で消費することよりも、日本で生産した方が価値が高いことは結果としてたくさんあるのだ。
「変わりたい」と願うモラトリアムの日々の中に、終止符を打つ。
そんな向上心、海外志向は単なる自己満足であり、世界に出て何かをすることよりも、
留学をした、海外で働いた、世界一周をした、発展途上国ボランティアをした、
その事実の方が大事になってしまうのは、
本質的に好きなことをできているとは思えない。
さぞ、海外に出れば周囲への自慢にもなるだろう。
多くの人から認めてもらえるだろう。
だが、それを胸を張って、
「私はやりたいことをしている」
「自分らしい生き方」
と主張することに、ぼくは違和感しかない。
本人は生産をしていると思っていても、
実際にはそれが本人の自己肯定のための消費にしかなっていない人はたくさん海外で見てきた。
問題なのは、本人もその履き違えに気づけていない、ということである。
他者の目を気する故、
やりたいことをやってる風で、やりたいことができていない、ということにすら気づいていない。
ぼくは、それを踏まえて肩の力を抜き、もっと言えば余生を過ごすつもりでエストニアに来た。
「働きたくない」「だらだら過ごしたい」「女の子と遊びたい」
もっと素直に生きるために。
ただ、正直な話、
本当にぼくは孤独だったと思う。
性格的には楽観的であり、テキトーな男のため、
オモテ向きではヘラヘラしてるが、
この2,3年、本当は孤独で寂しかったのだと思う。
誰がいるのかもわからない地へ、言葉も文化も異なる地へ、1人で足を踏み入れる、
これは無意識のうちに大きなストレスになっていたのだろう。
だからこそ、アニメの感動シーンなどで最近はバルト海が氾濫するのではないか、
と思うくらい泣いてしまう(え、関係ない?)。
エストニアに来てから最初の半年くらい、日本人に会うことはなかった。
日本人やアジア人がウジャウジャいるその辺の大国とは違う。
便利なものやAmazonすらない。
日本語どころか英語すら通じないことも少なくない。
初めてラトビアに向かうバス内で、たまたま隣に座ったたつき君と会うまでは日本人なんていないと思っていたくらいだ。
一方で、日本では同期は大手企業に就職し、収入も生活も安定している様子を見ると、
「自分はなぜ、こんな生き方をしているのだろう」
そう不安になることもあり、よく狭い二段ベットの下で考える夜もあった。
エストニアに来てからは、潜水艦の内部にある監獄のような寮に4人で収容され、
壁にはヒビが入っているために、雪や雨が部屋に入ってくることも少なくなかった。
室内で雪かき作業をすることは、この先ないと信じたい。
シャワーもお湯が出なくなったり、コンロが壊れて料理ができなくなることもよくあった。
貧乏学生だったため(今も貧乏だが)、
安い飯を毎日自分で作って腹を満たしていた。
贅沢なんて1ミリもできなかった。
新しい服を買うお金もなかったから、破れたら全部自分で縫い合わせた。
靴が壊れて剥がれたら、接着剤でくっつけて履き続けた。
外食なんて在学中は年間3回くらいしかしてない。
材料費を抑えるためにパスタの麺だけを茹でて食べる日もあった。
浅い会話しかできない下手な英語でコミュニケーションを取ることに、
なかなか火がつかないライターのような苛立ちを感じていた。
幸い、大学院での勉強にはついていっていたが、
教授と喧嘩して、給付型の奨学金を止められたりもした。
ルームメイトからは嫌がらせを受けるようになり、
1人静かに過ごす場所すらなくなっていた。
自分がなぜエストニアという小さな国にいるのか、わからなくなることもよくあった。
というか、今もよくわかっていない。
それはたぶん、ぼくの中のわずかな好奇心を満たすためだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
エストニアでの経験が、いわゆる一般的に「成長」「価値のある経験」
に繋がったのかどうか、そんなのは誰にもわからない。
そもそもそんな豪華な発想はぼくにはなく、ただ単にやりたいように過ごしてきただけだ。
もしかしたら、日本で普通に就職した方が、今頃超出世していたかもしれない。
能力も知識もない潰れた空き缶のような人間のぼくは、
日本で就職して働いたほうが幸せになったのではないかと、
今でもよく思う。
「大将って行動力バケモノだよな」
「大将さんっていつも自分を持ってて尊敬します」
「大将さんは優秀だからなぁ」 こういったことをよく言われる。
違う。
行動力なんてものはそもそも存在しない。
やってみたいからやってみる、行ってみたいからいってみる、
食べたいから食べる、
それだけだ。
だから海外に出ることが特別すごいことではないのだ。
ぼくの場合は、海外に行ってみたい、もっと言えば日本で就職できない、
といった、海外への好奇心と少しのネガティブな理由があっただけである。
「挑戦」「成長」など一瞬も考えたことはない。
「腹が減ったからコンビニへ行く」、それと同じメカニズムだ。
「成長」「自分らしさ」「自由な生き方」
そういった響だけはいい空白の多い言葉は嫌いだ。
海外へ出ることに常に価値があり、
日本に留まることに価値がない、というのは
偏見と幻想が生み出す自己満足のための陳腐な発想だ。
海外に出て、生産してる風にして自己満足を満たすための消費をするくらいなら、
自宅にこもってコンテンツを製作した方が、よっぽど生産になる。
また、ぼくは全く優秀でもなく、能力がある訳でもなく、
スキルがある訳でもない。お金もない。
日本で学部生をやっていた頃、
大学の教授に海外の大学院に行く話をしたら、
「お前は英語も話せない、成績も悪い、物理もろくに勉強してない、行けるわけがない」
そう言われた。
卒論、卒研の発表の時には、前に立っただけで話してもいないのに、
バカにしたように教授に失笑された。
小学校、中学校、高校、大学と全て受験は失敗した。
日本の大学の大学院試験も落ちた。
よく勘違いされるが、高校時代一番苦手な科目は数学だった。
最も難しい物理学で海外の大学院まで卒業したが、点数の低い順に前から席に座るシステムだった高校の数学クラスでは、
常に一番前の列に座っていた。
海外の大学院に進学を決意した大学3年生の3月、
つまり入学試験を1年後に控えていたその時のTOEICの点数はなんと、
405点だった。
理系かつIT国家と世間体に騒がれている国へ進学したせいで、
エンジニアやIT人間とよく勘違いされるが、
自分のパソコンを持ったのは、大学を卒業してからだ。
日本を出る直前まで人差し指タイピングしかできなかった。
このブログをhtmlとcssでゼロから作り上げたのが初めてのプログラミングだった。
 初めてだけあって、今見ると無残なホームページである。
卒業もしたので、今度新しいホームページを開設しようと思う。
大学1年の時、サラ金(学生ローン)で借金を作った。
小学生のときからやってるテニスすら、高校から始めた人に負けることもあった。
小学生の頃は泣き虫で、いじめられていた時もあったため、
無理やり空手を習わされたが、組手では自分より年下の他の生徒にいつもボコボコにされていた。
幼稚園から習っていた水泳に関しては、水に顔をつけることが怖くて1年近くも昇進できなかったり、
小学校の頃所属していたサッカーチームでは常にチームのお荷物扱いで嫌われていた。
人生で今まで10回以上は女性にフラれてきた。
挙げ出せばまだまだ恥ずかしい過去や、失敗談はある。
それくらいぼくは普通、いや平凡以下の人間なのである。
それでも海外の大学院だけは優秀な成績で卒業し、
現在は在学中に立ち上げた会社を経営しながら、様々なプロジェクトや研究をこなしている。
映画に出たり作ったり、海外でお笑いなどにも挑戦している。
どこまでも非力なぼくが死なずにこれまでやってこれたことを考えると、
他者の評価なんて気にせず、
もっと華麗に、もっと堕落的に、
やりたいことをやればいいと思う。

LIFE IN ESTONIA

制作事例1

エストニアで暇人生活
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